それは、“昔ながらの酒まんじゅう”を母(実母)から引き継いだ
私(管理者)の妻のことです。
リメイク版
その頃私はある生命保険会社(アヒルが薦める例の会社)の個人代理店をやっていました。
私には、保険のセールスをやる上で最も重要な“縁故知人”がこの地(日野市)の周りには居ませんでした。
それならば、妻の母が“酒まんじゅう”をそれほど遠くない山梨県の上野原市、都留市、大月市近辺で自分で作り、自分で売り歩いていたので、その義母を手伝いながら、
あわよくば“酒まんじゅう”のお得意さんの中から「生命保険のお客様」に繋がるチャンスもあるのではないだろうか!?
きっかけはそんな“下心”が潜んだ「親孝行心」からでした。
そうこうしいてるうちに、義母が1人で売り歩いていた販売から、都留市のリニア見学センターの近くにある『道の駅つる』や、上野原駅近くの『地元農産物直売所』での販売のチャンスが巡ってきました。
折角のチャンスだから、日野の近辺でも売ってみたらという話になりました。
「折角の“酒まんじゅう”を、高齢のお母さんが亡くなったら作る人がいなくなってしまう。それなら私、継ごうかしら。」と言いだしたのは妻です。
「お袋だって、長いこと試行錯誤を続けてやっとこさ売れる“酒まんじゅう”になったんだぞ、そんな簡単に出来るものじゃないだろ!」
そんなやり取りがありましたが、結局少しずつ手伝いながらやっていこうという事になったのでした。
前置きが長くなりましたがこれが、我々の“昔ながらの酒まんじゅう”ストーリーのこれが始まり、きっかけです。
“酒まんじゅう”作りが「そんな簡単なもの」だったかどうか、
それは次の機会という事に・・・・・