健康を創る食生活とは?
児玉陽子の正しい「食養」のすすめ
株式会社エナジックの代理店向け広報誌”E-FRENDS”に2年に渡り23回連載された、
食生活アドバイザーでいらっしゃる児玉陽子先生のコラム『児玉陽子の正しい「食養」のすすめ』をアップしていきます。
筆者は、現代病の主要原因が生活習慣に起因するといわれ、その殆どが1960年代の高度成長期以降に訪れた、著しい食生活の「西洋化」が招いたものと考えられると仰っています。
そして、その食生活の改善として「以前の日本食に帰ろう!」と、『日野式食養』を説いています。
ご自身も難病をこの『日野式食養』で克服され、そのご縁で日野博士の『日野式食養』の実践の伴走者となられた、そのノウハウを解説されています。
これは、我々の提唱する”昔ながらは新しい”と同根の考え方なので、
これから23回皆さんとご一緒に学んで行きたいと思います。
第1回 わたしが「食養」の普及活動を始めた理由
児玉陽子 (食生活アドバイザー)
株式会社エナジックインターナショナル 広報誌 『E-FRENDS』より転載
児玉陽子 略歴:
1936年3月、台湾・台北市生まれ。 55年に皮膚病、59年に結核を発症。東邦大学病院の日野厚博士の指導により「日野式食養」を実践し快癒。 以来、食養研究を始め、69年から公益財団法人・河野臨牀医学研究所(東京都品川区)で食養指導を開始。 78年には日野博士と共に日本初の「食養内科」を松井病院(東京都大田区)に設けて食養指導を実施。95年、同病院顧問に。 現在はフリーランスの立場で、食生活についての指導・啓蒙活動をおこなっている。 主著に『臨床栄養と食事改善指導』『アレルギーにならないための離乳食』(いずれも緑書房)など。
今月号から「食と健康」について、連載を始めることになりました児玉陽子です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、誰にとっても健康こそ最も大切なもの。その大事な健康を創る基本は「正しい食事」です。しかし多くの人が、相変わらず大量の加工食品に囲まれて、塩分・糖分・脂肪分過多の食生活を送っています。こうした事態を放置していると、とりわけ中高年にとっては深甚な疾患を招いてしまう怖れがあります。では一体どうしたらよいのでしょう。
わたしは60年近く正しい食生活の普及めざして、「食養」の指導活動をおこなってきました。この連載では、こうした長年の経験に基づき、主として生活習慣病の予防、およびその軽減をはかるための食生活を、具体的にわかりやすくお伝えする予定です。お読みになった皆さんが、ご自分の食生活を改めて振り返るキッカケになれば、たいへん幸いです。
そもそもわたしが食生活の改善指導に取り組むようになったのは、わたし自身の病気とその快複方法にありました。略歴にも書いてありますが、わたしは19歳で重い皮膚病に、23歳で肺結核を患いました。この重篤な病気を克服できたのは、当時、東邦大学付属病院で診察をされていた日野厚医学博士の治療を受けたおかげでした。
■日野博士との出会い
日野博士はそれまでの二十数年間にわたり、「食養」という概念に基づく研究と治療に取り組んでいました。それはいつの日か、「日野式食養」と称されて、食生活と健康を考えるさい、有力な説となっていました。
その「説」についてはこの連載を通じて追々説明していく予定ですが、まずはごく簡単に「食事を通じた病気予防と治療の方法」と理解しておいてください。それをひと言で「食養」と表記していたわけです。当時、わたしはその日野式食養によって、命を救われた思いがありました。とりわけ結核は進行性のためかなり重篤で、日野博士から「もう半年も放置していたなら危なかった」と言われたほどでした。
東邦大学付属病院に入院したわたしは、日野式食養を指導され実行しました。
それは、おおむね次のような食事内容でした。
玄米を主食にし、砂糖は使わず、薄味でタンパク質は魚・豆腐類で摂取し、野菜は (とくに緑黄色野菜を)毎日食べる——。
こういう食事をきちんと毎日摂ることで、わたしの身体はすっかり回復し、心身ともに健康になりました。そこで痛感したのは、健康のためであることはもちろん、病気になってからも、いや病気になったなら、なおいっそう「正しい食事」が大切である、ということでした。
そしてわたしは日野博士が食養に懸ける情熱に感動し、退院後、日野博士のアシスタントとして、その研究と治療のお手伝いをすることになったのでした。
Global E-Friends 2019.1