あなたのためのヘルスセミナー Vol.2

健康を創る食生活とは?

児玉陽子の正しい「食養」のすすめ

第2回 「食養」の歴史を辿る

貝原益軒(かいばら えきけん)と横井也有(よこい ゆうや)

児玉陽子 (食生活アドバイザー)

株式会社エナジックインターナショナル 広報誌 『E-FRENDS』より転載

児玉陽子 略歴:

1936年3月、台湾・台北市生まれ。 55年に皮膚病、59年に結核を発症。東邦大学病院の日野厚博士の指導により「日野式食養」を実践し快癒。 以来、食養研究を始め、69年から公益財団法人・河野臨牀医学研究所(東京都品川区)で食養指導を開始。 78年には日野博士と共に日本初の「食養内科」を松井病院(東京都大田区)に設けて食養指導を実施。95年、同病院顧問に。 現在はフリーランスの立場で、食生活についての指導・啓蒙活動をおこなっている。 主著に『臨床栄養と食事改善指導』『アレルギーにならないための離乳食』(いずれも緑書房)など。

前号では、日野厚博士の食養指導の甲斐もあって、重篤な病気が改善に向かったため、感心したわたしは食養指導の仕事に取り組むようになった、とお話ししました。日野博士の長年の研究成果に基づく指導方法がきっかけになったわけですが、ではそもそも食生活のあり方に関する手立てや方策は、いつごろから説かれるようになったのでしょう。

今月号から何回かに分けて、食養をめぐる日本の「学説・理論」(とその実践)の歴史をたどってみたいと思います。

といって、太古の時代にまでさかのぼるほど紙数に余裕はありません。せいぜい江戸時代あたりからの歴史を対象にしてみます。そういうと、多くの人が思い浮かべるのが、江戸時代前期に活躍した、儒学者であり本草学(当時の薬学)者でもあった貝原益軒(1630~1714)ではありませんか。とくに、彼が晩年に著した有名な『養生訓(ようじょうくん)』は、代表的な「健康読本」として誰もが知っているでしょう。

これは、いま風にいうと、健康であるための秘訣を、総論・飲食・五官・病気と薬・養老の各領域にわたり説いた書。中でも飲食については扱いが大きく、現在でもたいへん参考になる内容を含んでいます。たとえばこんなふうです。

●飲食は摂りすぎず腹八分に。

●五味(甘・辛・しょっぱい・苦み・酸っぱみ) を偏って摂るな。

●「地の食材」を新鮮なうちに摂れ。

■横井が説く「食養」四訓

これと似たような「戒め」は江戸中期に横井也有(1702-1783)という尾張の俳人が書いたとされる「健康十訓」の中にも四つ出てきます。

●少食多噛しょうしょくたぎょう(満腹にならずよく噛む)

●少塩多酢しょうえんたさく(塩は控え酢を多く摂る)

●少糖多果しょうとうたか(糖分を少なくし果物を多く摂る)

●少肉多菜しょうにくたさい(肉類は少なく穀物菜食を)

横井はそのほかに、少煩多眠(気持ちを和ませてよく眠る)とか、少怒多笑(怒らずに楽しく生きる)、少車多歩(適度に歩く)といった心身の健康のための「訓示」もしていますが、その中心は食生活の改善にあったといえるでしょう。

益軒や横井のこうした考え方の根底にあるのが、食こそが心身を養い、病気を治す最善の方法で、薬にも勝る効果があるという理念です。

この理念は、食生活の改善などをテーマにするさい、よく使われる「身土不二(しんどふじ)」や 「医食同源」とほぼ同じ考え方といえます。前者は「人はそれぞれが暮らす土地で採れる季節の食物を常食することで、身体が環境に調和し健康になる」という意味。

後者は、「病気の治療も日常の食事も、共に生命を養い健康を保つために欠かせず、源は同じ」という考え。こうした思考を科学的にとらえ新しい食養を提唱したのが、明治期に活躍した医師・石塚左玄(いしづかさげん) でした。次回はこの石塚を取り上げてみます。

Global E-Friends 2019.2

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