健康を創る食生活とは?
児玉陽子の正しい「食養」のすすめ
第4回 「食養」の歴史を辿る
—石塚左舷(いしづかさげん)から桜澤如一(さくらざわゆきかず)
児玉陽子 (食生活アドバイザー)
株式会社エナジックインターナショナル 広報誌 『E-FRENDS』より転載
児玉陽子 略歴:
1936年3月、台湾・台北市生まれ。 55年に皮膚病、59年に結核を発症。東邦大学病院の日野厚博士の指導により「日野式食養」を実践し快癒。 以来、食養研究を始め、69年から公益財団法人・河野臨牀医学研究所(東京都品川区)で食養指導を開始。 78年には日野博士と共に日本初の「食養内科」を松井病院(東京都大田区)に設けて食養指導を実施。95年、同病院顧問に。 現在はフリーランスの立場で、食生活についての指導・啓蒙活動をおこなっている。 主著に『臨床栄養と食事改善指導』『アレルギーにならないための離乳食』(いずれも緑書房)など。
4月号は連載をお休みしましたので、この第4回は3月号からの続きとなります。その3月号では、明治期の医師、石塚左玄が提唱した「食養」概念のうち、人間は穀物を食べる動物である、とする「人類穀食動物論」と、最適な時節に採れる地元産食物を食べるべきという「身土不二論」を紹介しました。今回はそれ以外の石塚の食養論を取り上げてみます。
まずは「陰陽調和論」です。『大辞林』(第3版)によりますと、「陰陽」とは「中国の易学でいう、宇宙の万物に働く、相反する性格のもの。天・男・日・昼・動・明などは陽、地・女・月・夜・静・暗などは陰である」ということです。
石塚はこの考え方を応用し、食物も「陰」と「陽」のバランスをとることが大切と説きました。具体的には、陽性のナトリウム(肉・卵・魚などの動物性食品)と陰性のカリウム(野菜・果物)のバランスのとれた食事を心がけようと提唱したのです。これなど、いまでも全く妥当な食事のあり方ではないでしょうか。
ほかに石塚の理論で欠かすことのできないのが「自然食論」です。「一物全体」という表現もしていますが、要するに食品は丸ごとすべて食べよう、とする主張です。野菜なら葉も茎も根も。魚なら頭も尾も身も骨も。丸ごと食べることによって、多種多様な栄養を摂取できるし、それが、食のバランス(陰陽!)につながるのだ、と石塚は考えました。これもまた、いまでも納得できる食事法ではありませんか。
■石塚を継ぐ桜澤の理論
石塚のこのような考え方の根底にあるのが、「食こそ心と身体をつくり育てる基本である」とする「食事至上論」あるいは「食本主義」という理論です。したがって心身の病気も食事に起因するとして、食事を中心に据えた療法に取り組みました。その代表的な例が玄米食です。
石塚は1907年に設立され、会長に就いた「食養会」を通じて玄米食の普及など、「食育活動」に熱心に取り組みました。
こうした実践活動によって彼の理論は広がっていき、以後、さまざまな人たちによる多様な食養論を生むことにつながりました。その代表例が桜澤如一 (1893~1966) の理論です。
桜澤は京都生まれの貿易商でしたが、石塚の食養理論の実践によって健康を回復したことがキッカケとなり、食養会の活動に参加。37年には会長に就任しました。
(2年後に脱退)
一方、フランス語に堪能でボードレールの詩集の翻訳を出したり、フランスにわたって東洋思想の著作を出版したりと、多岐にわたって活躍しましたが、40年代に入ると、石塚の食養理論を基にした著作を出すことにもっぱら注力し、『病気の治る食物』など、数多くの著作を出版しました。
そして戦後。彼はそれ以前にも増して様々な活動を内外で展開。やがて「マクロビオティック」という食養を通じた長寿法を確立し、内外に影響を与えていくのです。これについては次号で。
Global E-Friends 2019.5