ウコンの歴史

沖縄やんばる産ウコン

ウッチンパワーでガンジュー・チョーミー(健康長命)

沖縄の気候風土が育む

パワフル・ウコンを徹底解剖

一説によると、健康食品(サプリメント)の約4割が、何らかの形でウコンに関連しているといわれています。人気抜群のウコンですが、日本で流通しているウコンのほとんどは外国産です。

しかし、わたしたちはもっと足元を見直してみましょう。そう、亜熱帯の沖縄こそウコンが自生し、古来さまざまな民間療法に取り入れられてきた地域なのです。

先人の知恵を脈々と受け継いだウチナンチュ(沖縄の人びと)は、生活の中でウコンを活用しつづけてきました。世界的に知られる沖縄の「ガンジュー(健康で)チョーミ(長命)」の理由の1つに、ウコンをあげていいのかもしれません。

このウコンを最も多く栽培しているのが、北部1帯を指し、ヤンバルクイナやノグチゲラ といった希少動物の生息地として知られるやんばる地域です。

ウコンの特長と効果効能を科学的に検証する実験・研究も数多く積み上げられてき ました。その成果は、「伝承」を「事実」に変え、信頼感をいっそう高めることでしょう。

沖縄ウコン・ミニヒストリー

【明治維新はウコンのおかげ?】

ウコンが沖縄に持ち込まれたのは琉球王朝時代のことで、5世紀ごろまでには交易を通じて中国からウコンが伝播したとされています。その後、琉球ではウコンがさかんに栽培されるようになりました。評判が高まり、大阪などへ「輸出」されるようにもなったといいます。

7世紀には王府が専売制をしいて利益を独占しました。販売先はもっぱら薩摩藩で、薩摩を通じて上方(とくに堺の)商人へ売りさばかれていました。しかし19世紀に入ると、琉球を支配した薩摩藩がウコンの専売制を しき、薬用および染料用として高値で売りさばいて莫大な利益を上げました。

幕末、薩摩藩は強大な武力を蓄え、戊辰戦争で長州藩とともに徳川幕府軍を打ち破って明治維新を実現しましたが、その軍費調達 にウコン専売が一役買ったといえるでしょう。

【ウコンの未来は明るい】

明治以降、ウコンは次第に忘れ去られていき、再び脚光を浴びたのは1950年代に入ってからのことでした。ウコンに関するある論文が注目され、それをきっかけにウコンのすばらしさが再認識されていったのです。

もちろん、この間も民間療法としていろいろな用途に使われていましたが、次第に沖縄の枠を超えて本土へと評判が広がり、8 年代に入ると、折からの健康食品ブームにも乗って、ウコンの消費量が飛躍的に増大しました。

この需要増に応えたのはもっぱら輸入品でしたが、沖縄でも栽培量は右肩上がりに増え、県の統計を見ると、93年の収穫量16トンが5年後の98年には何と111トンで、約7倍にも増大しました(重量は生もの×0.1の乾物換算)。

 ブームは一段落しましたが、健康食品やお茶のジャンルで、ウコンは欠かすことのできない産品となっています。医学的・科学的研究 が進むにつれ、この傾向はますます強まることでしょう。ウコンの未来はたいへん明るいといえます。

飲むならウコン! ウチナンチュはウッチンが大好き!

沖縄では「ウコンのある生活」が当たり前です。飲み屋に入ると、袋に小分けしたウコンの錠剤が売られ、客は“一杯”の前に購入して飲みます。まさに「飲むならウコン!」なのです。あるいは甕に貯蔵した古酒(クース)に生のウコンを漬けておく店もあります。

また、庭先にウコンが植えられているのもしばしば目にする光景です。ウコンが成長すると根茎を掘り出し、薄く切って乾燥させ、さまざまな用途に使うのです。

使用法はいろいろです。調理で香辛料代わりにしたり、ミソ汁にちょっと入れてみたり。または粉末状にして湯をそそぎお茶にしてみたり、当然、あわもりや泡盛を飲る前やその後に飲んでみたり・・・・・

ウコンは日常生活に溶け込んでいるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。