産経新聞2021年11月10日より毎週水曜日掲載されたコラムを文字起こししたものです。
その2
前向く璃花子の優しさに触れ
二重の苦しみ 押しつぶされそうに
親なら誰しも、子供が苦しむのを見るくらいなら自分が代わりになってあげたいと思うはずです。そして親なら誰しも、子供が夢をかなえることを全力で応援し、幸せになってほしいと願うはずです。
わが家は父親のいない家庭でしたが、母親である私は3人の子供に精いっぱいの愛情を傾け、将来子供が自分の夢をかなえられるように懸命に育ててきました。子供たちはみな親の言うことをよく聞き、きょうだいの仲もよく、それぞれの道を順調に歩んでいました。
そんな私たち家族の世界が一瞬にして変わってしまったのは、2019年2月、次女の璃花子が「白血病」と診断されてからです。18年夏のパンパシフィック選手権では、100mバタフライを56秒08で優勝。その年の世界ランキング1位のタイムでした。その後のアジア大会では6冠を達成しました。世界のトップが見えた直後のことでした。
母親である私は苦しむ璃花子を見るというつらい日々が始まりました。そして目の前まで来ていた璃花子の夢が、ボロボロに打ち砕かれてしまうのを黙ってみているしかありませんでした。死ぬかもしれない病になってしまった絶望と、トップアスリートとして活躍していたキャリアを失った二重の苦しみに、私も押しつぶされそうになりました。
そんな混乱のなかでも、ただ立ち止まっていてはいけない、嘆き悲しんでいても事態は決してよくならないと自覚していました。 璃花子も「今は病気を治すしかない」とすぐに前を向いてくれました。髪の毛がすべて抜けてしまっても、体調がいいときはお見舞いの人たちと帽子もかぶらないで会い、前と変わらない笑顔で接していました。ただ泣き言を漏らさない代わり、自分の本心も明かさず、口数はとても少なくなっていました。
19年春ごろ。病気を発症する前からサポートしてくれていたトレーナーさんが、璃花子の体をマッサージするために病室にきてくれました。 施術を終えると璃花子が「ママの分もしてもらえませんか」と突然言いました。 当時は肩こりがひどかったのですが、苦しむ璃花子の前でそんなことは言えませんでした。ただ、そんな私の様子を、璃花子は無言で見ていたのです。 強さの中にある璃花子の親を思う優しさに触れました。

=2020年4月25日
私は仕事をしながらそんな璃花子をサポートする中で、心の奥底では璃花子が病気を治すだけではなく、いつか元の世界に戻ってほしい、そしてまた以前のように自らの夢を追いかけるようになってほしいと願っていました。子供が健康であることはもちろん、子供の夢を応援したいと思うのが親でもあるからです。
池江美由紀(いけえ・みゆき)
東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。
初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。
池江璃花子(いけえ・りかこ)
2000年7月4日生まれ、21歳。
3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。