産経新聞2021年11月10日より毎週水曜日掲載されたコラムを文字起こししたものです。
その3
奇跡を起こす「自分を信じる力」
心と体はつながっている
自分を信じる力は、ときに奇跡を起こします。2021年4月、東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権。璃花子は逆転の泳ぎで、東京五輪への道を切り開きました。
19年2月。退院した璃花子は、入院したときとは別人のようにやせ細り、痛々しいとしか言いようのないほど力がなくなっていました。毎日山のような薬を飲み、点滴がなくなった分、大量の水分をとることがうまくいかず、脱水状態になり、危うく病院に逆戻りしそうなこともありました。
それでも関係者の方のサポートや全国のファンの方の励ましで回復に向かい、いよいよプールに入ることができたのは、退院から3カ月目の20年3月のことでした。 璃花子のやせ細った水着姿を人に見られるのはとてもつらかったのですが、本人はさして気にする 様子でもなく、「あぁ、気持ちがいい」と水の感触を楽しんでいました。
それから1年1カ月後。日本選手権に出られることになったとき「やっと本来の場所に戻ってこられた」 と私は心から喜びました。
最初の種目、100mバタフライでの優勝は、おそらく誰も予想できなかったのではないかと思います。そしてたくさんの方が璃花子の勝因を解説してくださいました。しかしそれはどれも間違いではありませんが、正解でもないと思います。
璃花子は本番に強い。しかも舞台が大きければ大きいほどとてつもない力を発揮します。璃花子があの大舞台で奇跡の泳ぎができたのは、私は「自分を信じる力」だと思っています。
人間の脳はいつも意識して使う顕在能力と無意識で使う潜在能力があります。氷山で言えば見えている一部が顕在能力、その下の海の中に沈んでいる膨大な氷が潜在能力です。
私たちにはまだまだ潜在能力が眠っています。ですから私は、いつも子供たちに「あなたならできる。あなたにはまだ使っていない素晴らしい力がある」と暗示の言葉を伝えていました。 結果が駄目なときはもちろん、良いときもそれに満足せず上を目指せるよう に「あなたにはまだまだ素晴らしい力があるよ」と常に前向きに「できる」というイメージを持たせました。

東京五輪代表入りを果たした池江璃花子選手
2021年4月
長年、自分には素晴らしい能力があるといわれ続けた璃花子だからこそ、ここ一番の場面で潜在能力を引き出すことができたのではないでしょうか。
100Mバタフライの準決勝までとは違う泳ぎが決勝でできたのは、自分なら絶対にやり遂げることができる、誰も自分の前を泳がせないという自分を信じる力があったからだと感じています。 心と体はつながっています。たとえ体は元に戻っていなくても、ほかの選手より圧倒的にスタミナが足りなくても、自分を信じる力が奇跡の泳ぎをさせたのではないかと思います。
池江美由紀(いけえ・みゆき)
東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。
初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。
池江璃花子(いけえ・りかこ)
2000年7月4日生まれ、21歳。
3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。