池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年1月19日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その9

立派に育てるという決意

誕生の瞬間、きょうだいにも

3番目の子の璃花子は、自宅のお風呂で産みました。 助産院で多くのことを学ばせていただいたので、自信がついていました。自宅に来てもらえる近くの助産師さんを探して、出産はもちろん、検診も行っていただきました。

医療を介入させない自由な産み方を「アクティブバース」 といいます。日本ではあまり耳にすることがないと思いますが、欧米がルーツで、妊婦さんにも赤ちゃんにも負担をかけない考え方です。

長女と長男は水中出産ができる産院を選びましたが、そこでは必ずしも水に入らなければいけないわけではありません。 産院のどこでも好きなところで産んでいいと言われました。 私はせっかくなので、産気づいてからは3畳ほどの大きさのある出産用のお風呂に 入りました。水温はそれほど高くなく、陣痛がきていないときはとても快適な空間でした。

赤ちゃんが生まれると、すぐには水からあげず、母親とへその緒がつながったままでゆらゆらと水の中を漂わせました。まだ羊水の中にいるときと変わらず「胎盤呼吸」なのでそれができるのです。水からあげると赤ちゃんは羊水を吐き出し、肺呼吸をするために大きな声で泣きます。そして呼吸が落ち着くと赤ちゃんはもう泣きません。赤ちゃんは生まれてから泣いているというイメージがあったのですが、それは母親から離れた不安や環境への恐怖からだとわかりました。しっかり肺呼吸ができるようになると、少しいきんで胎盤を出し、家族でへその緒を切りました。私は今までおなかの中で育てた達成感と、無事に生まれてくれた安心感でいっぱいになりました。そしてこれからこの子を立派に育てるという決意をしました。ところで、妊娠をする前の自分の食に対する考えはひどいものでした。 しかし子供を持ちたいと思ったときから改善し、さらに2人の子を産んだ助産院の先生 には食のこともたくさん教えていただきました。

玄米菜食にし、有機栽培した野菜や食品添加物を取らない昔ながらの日本食を心掛けました。 出産後、助産院で食べた食事のおいしかったこと! 今の私の食の原点です。母乳育児の大切さも教えていただきました。妊婦さんは出産の準備で哺乳瓶を何本か用意しますが、全く使いませんでした。生まれてから赤ちゃんと和室で添い寝をし、2時間ごとに母乳をあげるのです。初めは親の方も赤ちゃんの方も慣れていなくてうまくいきま せんが、初乳を自分で絞ってスプーンで飲ませたり、赤ちゃんをいろいろな抱き方をして乳首を吸わせたり・・・・。 母親の乳腺を刺激するような飲ませ方をすると次第にうまくいきました。まったく痛くない母乳マッサージもしていただきました。

母乳のことで悩むお母さんはたくさんいると思います。 私の場合は助産院の先生が指導してくださったおかげもあり、3人の子供を1歳半まで母乳で育てることができました。 璃花子が生まれてきた様子は、7歳の長女と3歳の長男にも見せることができました。 それは家族の素晴らしい時間になりました。


誕生したばかりの池江璃花子選手。
当時、7 歳の長女と3歳の長男も新しい家族を喜んだ

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

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