産経新聞2022年2月9日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。
その12
常に先を見据える声掛けを
「同じようにできる」イメージを育てる
璃花子は自宅のお風呂で生まれ、生まれたときから姉と兄に刺激をもらい、親も3人目の子育てという環境のもとで育ちました。そんな璃花子の幼い頃のエピ ソードをご紹介します。
生後半年には親の指に自力でぶら下がっていましたし、1歳半には逆上がりをしていました。2歳前には自転車に補助輪なしで乗っていたと思います。それは姉と兄の様子を見て、自分も同じようにできるというイメージが育ったからではないでしょうか。
自宅のリビングでは、よく縄跳びをしていました。長女と長男をうまく競争させて、技や回数を増やして いたのですが、まだ2、3歳の璃花子は自分の番を必ず望みました。それは縄跳びを両手に持ちバタバタ動き回るだけでしたが、褒めてやると喜んでいつまででもやっていました。
私の幼児教室で小学生を対象に腹筋大会をしたことがありました。なかには1回もできない子もいましたが、10回、2回ぐらいはみんなできていたと思います。 それをそばで見ていた 3、4歳だった璃花子は、 「自分もやる」と言いだし400回でも500回でもやってしまいました。 いつまでもやり続けるので無理やりやめさせてしまい、結局何回できたのかはわかりませんでした。3歳から始めた水泳でも、たくさんのことがありました。子供たちのスイミングクラブは無級から始まり、腰にヘルパーを付けて 25mをばた足で進むことができると1.5級に進級できます。初めての進級がいきなり25mなので、幼児は無級に年単位でいる子がほとんどですが、璃花子はすぐに進級してしまいました。早いときは月に2回、長くても3、4カ月で進級テストに合格していました。
そんな進級テストで、私は何度も驚かされることがありました。テストは大会のようにレース形式で、1級から順に行われます。璃花子の自由形のテストのとき、プールに飛び込むと平泳ぎのような泳ぎをして溺れかけたことがありました。コーチも驚いてプールに飛び込んで助けたのですが、私はギャラリーで大爆笑しました。
璃花子のテストの直前に泳いだ子たちは、種目が平泳ぎでした。その泳ぎをやけに熱心に見ていたのに私は気づいていたので、習ってもいないのに平泳ぎをまねしたのだと思いました。幼いが故に進級テストの目的がよく分からず、練習ではいつも周りの大きな子供たちがすることをまねしていたので、そのときもそうしたのだと思います。反対にわずかな時間の間に平泳ぎをまねたその集中力に感心しました。
50mの自由形の進級テストのときも面白かったです。 25mプールのため、25.mを泳ぐとクイックターンをして残り25mを泳ぎます。璃花子は練習のとき、壁にタッチをしてからクイックターンをしていたので 「テストでは壁にタッチしちゃダメよ」といい聞かせました。本番では25mのクイックターンで壁にタッチすることなく上手にできたのでホッとしていたら、今度はゴールのときにタッチをしないで泳ぎをやめてしまいました。初めはなぜそんな中途半端なことをしたのか理解できませんでしたが、「タッチしちゃダメ」 の教えをゴールでやってしまったと分かり、苦笑いでしたが教えを守ったことに再び感心しました。
親の私自身も決して子供に完璧を求めず、プラスの面、よくできた面を褒めることを大切にしてきまし た。「次はこうしようね」 「こうしたらもっとよくできるよ」と、常に先を見据える声掛けをしてきたことが、今の璃花子の土台になっていると思います。

池江美由紀(いけえ・みゆき)
東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。
初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。
池江璃花子(いけえ・りかこ)
2000年7月4日生まれ、21歳。
3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。