池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月9日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その16

子供の人生の応援団長に

少しのヒントや気づきに導いて

先日、6月にハンガリーで行われる世界選手権の選考会がありました。 昨年4月の日本選手権は東京五輪の選考会で、璃花子はそこで自分を信じる力で出場種目すべてで優勝。リレーの代表権を勝ち取りました。

女子100mバタフライ 決勝での池江璃花子選手

「五輪は寂しい大会でした」。レース後、このようなコメントをしていました。病気の前は必ず個人種目で派遣タイムを突破。世界と戦っていたのですから、そのような気持ちを言葉にしたのだと思います。ですから、今年の大会は何としても個人種目で派遣されたいという並々ならぬ意気込みで臨んでいました。

昨年、うまくいかなかったところを矯正し、璃花子はさらに努力を重ねていました。私としても1年後の今回は闘病後の自己ベストを出して、どれだけ本人の持つ日本記録に近づけるのか、楽しみな大会でした。ところがいざ始まってみると、ちょっとした失敗を引きずり、みるみる自信を喪失。派遣タイムどころではなくなってしまいました。

大会3日目もテレビで観戦していましたが、苦しみの表情やどん底のメンタルに何かしてやれないか、何か言葉をかけてやれないかと思いました。残すは最終日の100mバタフライという状況で私はいてもたってもいられず、夜に璃花子の泊まっているホテルまで行き、ドライブに誘いました。

 「病気さえしなかったら泣き崩れる姿に、ここまで気持ちが落ちているのかと驚きました。変えられない過去に泣き言を言っても、前に進めないことは誰よりも本人が知っているはずです。「闘病の日々、生きたいと思った、また自分の足で歩けるようになりたい、外の空気を吸いたい、友達に会いたい、おいしいものを食べたい、そして何よりも泳ぎたい・・・・」。今生きている、ということがどれだけ幸せなのかを思い出してもらいたくて、このように声をかけました。そして最後にこう伝えました。

「派遣とかメダルとかそんなことより、大好きな水泳ができること、泳げることを楽しんで」

もうここで親としての役割はおしまい。迷いながら人生を生きている子供に、長く生きた経験から得たものを伝え、少しでも力に変えてほしいと願いました。

翌日、予選は精彩を欠いた泳ぎでギリギリ8番で通過。私は、ああ水泳の神様はもう一回泳げと言っているのだと思いました。どんな結果になろうともそれをしっかり受け止めて、またやり直してほしい。 そして何より、逃げずに予選を泳いだことを評価してあげたいと思いました。

「いざ決勝が始まると、端のコースからのびのびと力強く泳ぎ、なんと優勝してしまいました。派遣タイムはわずかに切ることができませんでしたが、今までにないネガティブなメンタルから見事に立ち直れたことは何よりうれしかったですし泳ぎ終わったあとのすがすがしい表情に、また一つ大きな山を乗り越えて力強く成長した姿を見ました。

親は、子供がつらいことや苦しいことを回避させたり、代わりになってやったりしてもいけません。なぜ なら、子供が選んだ人生の中で、もがき苦しみながらも自分で答えを見つけなければならないからです。 しかし、ほんの少しのヒントや気づきに導いてやることは大切なのではないでしょうか。子供の人生の応援団長は親に他なりません。

競泳の国際大会日本代表選考会で、女子100mバタフライ決勝のレースを終えた池江璃花子選手

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

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