池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月30日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その19

子供を信じて応援を

経験者に学び、自分流に

桜の季節がやってきて、春爛漫になりました。病気を治すことを優先するためにすべてを犠牲にした3年前は、「桜なんて咲かなければいい」と思いましたが、今は桜の美しさを楽しめるようになりました。

まだ私が子供を持つ前、産経新聞に掲載されていた「赤ちゃんはみんな天才」という教育コラムを毎週楽しみにしていました。その執筆者であり、後に私の恩師となる方の胎児から幼児への教育メソッドは、私の人生までを変えるものになりました。

赤ちゃんはみな素晴らしい能力を持って生まれてくること、優秀な親の遺伝子よりも、それを引き出すための環境や刺激が大切であること、それはどんな人から生まれても可能であること。自分の人生に半ば失望「していた私は、その記事に勇気づけられ、子育ての礎にしてきました。熱心が高じて幼児教室の運営も始め、たくさんのお子さんの能力開発や親御さんのご指導もしてきました。

開校当初は、母親としても講師としても未熟でしたので、教えられた通りのことを実践するのが精いっぱいでした。私の学んだことや教えていることが本当にそうであるのか、将来子供がそのような能力を身につけられるのか、子育ての場でも生徒さんへのご指導でもわかりませんでした。なぜなら人間教育という結果が出るのは、何週間や何年か後ではなく、社会との関わりを持ち、自ら考え行動できるようになってから目に見えてくるからです。

あれから3年近くがたちました。日々悩みながら迷いながらしてきた子育てや、積み重ねてきた幼児教室での指導に今は確信を持ち、自信を持ってお伝えすることができるようになりました。

「育てたように子は育つ」。これは最も大切な子育ての根幹です。親の言葉、親の態度、親の生き方 そのすべてが将来の子供を作ります。子供は何もわからない真っ白な状態で生まれてきます。親は子供が物心つく前から子供の持つ可能性を引き出し、人としての道理をしっかり教えることが大切です。物事を自分で判断できるようになれば、あとは子供が困って親を頼ってきたとき、力を貸してあげればよいのです。

長い月日を経て恩師の教育コラム欄に、私が書かせていただいているご縁を、大変うれしく思います。

璃花子がリオデジャネイロ五輪の日本代表に決まった際に私を取材した記者にも、私の教育理論に共感してくださった方がいます。その後生まれたお子さんに同じメソッドを実践されたことを最近知りました。

「美由紀さんと会って家 に帰ると、子供たちがいつも以上にいとおしく感じます」と言われたことがあり ます。私が恩師と出会い子供たちのおかげで人生が変わったように、多くのお母さんたちに子育ての勇気を与えられ、楽しんでもらえればこれ以上幸せなことはありません。

誰しも親になるための教育を受けることはできません。学ぶべき対象は先を歩く経験者である親たちです。その方々のたくさんの経験を学び、取捨選択をして自分流にしていく、それが何よりも自分にあったよい子育てなのではないかと私は思います。ぜひ今の子育てを楽しんでもらいたいと思います。

璃花子は来年の3月に大学を卒業します。その後のことは何も決まっていませんが、水泳を続けていくことだけは確かです。本人が自分を信じるように、私も子供を信じて応援していくだけだと思っています。

池江璃花子選手が退院して初めての春。
一緒に桜をめでたときの1枚 令和2年3月

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月16日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その18

「挑戦」の貴重な機会を

たとえ失敗してもたくさんの学び

家庭で心掛けていた子育ての秘訣のひとつに、「挑戦」があります。人間は、たくさんの刺激を受けて成長していくものです。子供が現状よりもさらに上を目指し、努力する姿勢を身につけるには、「挑戦」の機会を持たせることがいいと思います。

親は、子供にさまざまなことに積極的にチャレンジしてほしいと思う半面、「失敗したらかわいそう」と、まだ完璧にできないことをやらせようとしないと「ころもあります。

例えば私の教室では、レッスンの最後に暗唱や歌など、できるようになったことを発表する時間があります。 その際、まだ完璧にできないからと、子供が前に出ようとするのを親が止めてしまうことがあります。しかし、たとえ完璧にできなくても、学ぶことはたくさんあります。人前で注目を浴びる経験はとても貴重ですし、頑張ってよかったという達成感や称賛、反対にもう少し努力をすればよかったという反省も学べます。

そのような機会をどんどん子供には経験させるべきだと思います。私は「間違ってもいいから、失敗しても大丈夫だから、手をあげてごらん」と子供に言って育ててきました。子供が聞きたいことを、親が代弁することもありませんでした。 外でトイレに行きたくなったとき、必ず行きたいと言った本人にお店の人などに「トイレはどこですか」と聞かせました。もちろん、教えていただいたお礼もセットです。

回転ずしでも食べたいものは自分で頼ませていました。最近では液晶画面に注文を入れると自動でおすしが席まで運ばれてきますが、璃花子たちが小さい頃は、流れていないおすしは板前さんに頼まなければ食べられませんでした。「納豆巻きください!」「さび抜きのサーモン2つください!」など、子供自身が頼んでいました。 こんなことも小さな挑戦ではないでしょうか。

水泳の大会でもそうです。5歳から大会に出始めた璃花子には、大会で記録を出すというよりも、いつもと違う環境の中でどう自分の身を置いたらいいのか、感じることがとてもいい経験だと考えていました。 子供を心配して「どうする? 出てみる?」というような聞き方はしません。「出ない」と言われれば、貴重な機会を失ってしまいます。ですからそのような場面では「今度大会に出るよ。楽しいみたいだから頑張ろうね」という風に 「声をかけていました。何でもかんでも子供に聞く必要はないと思います。どんな経験になったとしても、やってみることに勝るものはありません。挑戦した勇気や、不安を乗り越えた努力を褒めたたえて、よい挑戦にしてあげればいいのです。

成人になったわが子たちを見ると、その成果が十分に出ていると思います。親の私がもうちょっと親を頼りにしてもいいのに、と思うようなときでも、ずんずん突き進んでいきます。

子供はいつか必ず親離れしますし、またそうなってくれなければ困ります。そのためにはまず、親自身が上手に子離れできるよう、自分の生き方に輝きを持つことが大切です。そのためには私たち親も、残りの長い人生で挑戦を忘れないようにしたいものです。

8歳の頃。不安定な水の上でロープを引っ張って進む
アトラクションに挑戦する池江璃花子選手。
どんなことも前向きに挑んできた

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月16日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その17

ご褒美の目標は高く設定

「条件」は途中で変えないように

子供にご褒美をあげることは、どのご家庭にもあると思います。○○ができたら○○を買ってあげるというようなものです。

璃花子が初めて新記録を出したのは、中学1年のジュニアオリンピック (25mプール)。50mと100mの自由形で、中学記録でした。璃花子の世代は中学記録を更新するような子が多く、唯一の水泳専門雑誌 「スイミングマガジン」に中学生クインテット (5人組)と特集を組まれたこともありました。

しかし、所詮は中学生の記録。高校生や大学生、社会人の日本代表の方のタイムにはまだまだ届きませんでした。 それでも、インターナショナルタイムという無差別の世界基準の記録さえ出せれば、日本代表のような方たちと練習ができたり、合宿ができたりする仕組みが競泳にはありました。

「このタイム (インターナショナルタイム)が出せたらご褒美をあげる」。この頃、璃花子とはよくこういった約束をしていました。それは途方もなく高い記録なので、出せなくて当たり前。ご褒美もできればいろいろな意味で買ってやりたくないけど、それほどすごいことをやってのけたならまあいいか、というようなものでした。

中学2年の頃、インターナショナルタイムを切ったご褒美を、携帯電話にしました。以前から欲しがっていたけど、買ってやらなかったものです。その時の大会のプールは条件が悪く、めったにいい記録は出ません。私はたかをくくって、携帯電話を買ってやることはないだろうと思っていました。

ところがいざレースが始まると、璃花子は50mと200mの自由形でインターナショナルタイムを突破。自身が持つ中学記録も大きく更新してしまい、あの時はあぜんとしました。璃花子は泳ぎ終わってプールの中で泣いていたので、周りはすごいタイムを出したからだと思ったでしょう。しかしあれは間違いなく携帯電話を買ってもらえるうれし泣きでした。

中学3年で迎えた日本選手権は、世界選手権の選考会を兼ねていました。その時のご褒美は「しまむらの洋服買い放題」。途中で本人が「ユニクロにして」と言いましたが、却下しました。 なんとか世界選手権の切符を手に入れて買い物に行きましたが、どんなに買っても、そこまで高い買い物にはならなかったように思います。

このように、ご褒美をあげる目標はできるだけ高く設定し、駄目でもよくても、親にあまり都合の悪いことはないようなものにするといいと思います。そして子供にねだられたからといって、条件を途中で変えることはよくありません。

先日「中学生クインテッ ト」のうちの1人が大学4年生で引退しました。同じ系列クラブで同じ種目でしたので、中学記録を抜いたり抜かれたり、仲よくしているのかと思えば、けんかをしているようだったり と、長い間トップアスリートの苦楽をともにした仲でした。 璃花子が白血病から復活したときも、サプライズの誕生日会を企画。応援のビデオメッセージも作ってくれたり、私も璃花子も彼女には感謝の念でいっぱいです。

引退後、彼女のお母さんとお会いする機会がありました。子供のおかげで楽しい時間をたくさん過ごせましたし、応援でいろいろなところにも行けました。たくさんの親御さんのお友達ができ、お世話になった方々の人脈もたくさんできたと話に花が咲きました。子育ては大変なこともありますが、そのおかげで経験できること、得られることもたくさんあります。

昨年の競泳日本学生選手権女子400元リレーで優勝した日大の
(左から)山本茉由佳、小堀倭加、池江 璃花子、持田早智。
中学時代から切磋琢磨(せっさ たくま)してきた仲間も、今は大学生になった

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月9日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その16

子供の人生の応援団長に

少しのヒントや気づきに導いて

先日、6月にハンガリーで行われる世界選手権の選考会がありました。 昨年4月の日本選手権は東京五輪の選考会で、璃花子はそこで自分を信じる力で出場種目すべてで優勝。リレーの代表権を勝ち取りました。

女子100mバタフライ 決勝での池江璃花子選手

「五輪は寂しい大会でした」。レース後、このようなコメントをしていました。病気の前は必ず個人種目で派遣タイムを突破。世界と戦っていたのですから、そのような気持ちを言葉にしたのだと思います。ですから、今年の大会は何としても個人種目で派遣されたいという並々ならぬ意気込みで臨んでいました。

昨年、うまくいかなかったところを矯正し、璃花子はさらに努力を重ねていました。私としても1年後の今回は闘病後の自己ベストを出して、どれだけ本人の持つ日本記録に近づけるのか、楽しみな大会でした。ところがいざ始まってみると、ちょっとした失敗を引きずり、みるみる自信を喪失。派遣タイムどころではなくなってしまいました。

大会3日目もテレビで観戦していましたが、苦しみの表情やどん底のメンタルに何かしてやれないか、何か言葉をかけてやれないかと思いました。残すは最終日の100mバタフライという状況で私はいてもたってもいられず、夜に璃花子の泊まっているホテルまで行き、ドライブに誘いました。

 「病気さえしなかったら泣き崩れる姿に、ここまで気持ちが落ちているのかと驚きました。変えられない過去に泣き言を言っても、前に進めないことは誰よりも本人が知っているはずです。「闘病の日々、生きたいと思った、また自分の足で歩けるようになりたい、外の空気を吸いたい、友達に会いたい、おいしいものを食べたい、そして何よりも泳ぎたい・・・・」。今生きている、ということがどれだけ幸せなのかを思い出してもらいたくて、このように声をかけました。そして最後にこう伝えました。

「派遣とかメダルとかそんなことより、大好きな水泳ができること、泳げることを楽しんで」

もうここで親としての役割はおしまい。迷いながら人生を生きている子供に、長く生きた経験から得たものを伝え、少しでも力に変えてほしいと願いました。

翌日、予選は精彩を欠いた泳ぎでギリギリ8番で通過。私は、ああ水泳の神様はもう一回泳げと言っているのだと思いました。どんな結果になろうともそれをしっかり受け止めて、またやり直してほしい。 そして何より、逃げずに予選を泳いだことを評価してあげたいと思いました。

「いざ決勝が始まると、端のコースからのびのびと力強く泳ぎ、なんと優勝してしまいました。派遣タイムはわずかに切ることができませんでしたが、今までにないネガティブなメンタルから見事に立ち直れたことは何よりうれしかったですし泳ぎ終わったあとのすがすがしい表情に、また一つ大きな山を乗り越えて力強く成長した姿を見ました。

親は、子供がつらいことや苦しいことを回避させたり、代わりになってやったりしてもいけません。なぜ なら、子供が選んだ人生の中で、もがき苦しみながらも自分で答えを見つけなければならないからです。 しかし、ほんの少しのヒントや気づきに導いてやることは大切なのではないでしょうか。子供の人生の応援団長は親に他なりません。

競泳の国際大会日本代表選考会で、女子100mバタフライ決勝のレースを終えた池江璃花子選手

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年3月2日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その15

成果ではなく経過の努力見て

習い事 熱心になりすぎない

長女、長男、璃花子の3人が習っていた水泳を通して、ただ単に子供の習い事の範囲ではなくなっているのを感じることがありました。親が熱心になりすぎて、水泳でいえば記録が速くなることを優先してしまう子育てになっているということです。

それはたとえ、子供がトップアスリートになったとしても、北京冬季五輪のフィギュアスケートで噴出したドーピング問題のようなものに、最終的にはつながっていくのかもしれません。

私は、子供が成長するのを見るのが楽しくて水泳に通わせていました。しかし、子供たちが上達して選 手コースに上がると、疑問に思うことがたくさんありました。

一つは、子供の実力が高いと、親の存在も上であるというおかしな序列ができてしまっていたことです。 単純な言い方ですが「泳ぐのが速い子供の親が威張っている」ということです。私は初めはそのような序列や親が作ったルールを知らなかったので、クラブの中でずいぶん嫌な思いをしました。

町のスイミングクラブでは、水泳から離れれば子供たちは友達です。たとえ水泳がとびきり速くても、プールから出れば平等な関係であることを、親たちが自ら手本を示す人間関係を構築することが大切なのではないでしょうか。

ジュニアの最高峰の全国大会は、「ジュニアオリンピック (JO)」といいます。10歳以下の部から8歳 までの区分に分かれ、各年齢で参加基準タイムがあり、それを切らないと出場できません。選手になるとどの子供の親も、JOに出場することを目標にして頑張っています。

子供たちのクラブでも、100人ほどいる選手の中で、個人種目でJOに出られるのは毎回4、5人ほどではなかったかと思います。子供たちは純粋に頑張っているのですが、親の中ではJOに子供が出ているかどうかでヒエラルキーができてしまっていました。そしてもう一つは、親が指導者になってしまっていたということ。親が熱心ということは、子供を伸ばすという点ではとても大切なことです。しかし、指導者であるコーチを飛び越してプールサイドから身ぶり手ぶりで子供を指導したり、練習メニューを組んだり、わが子をリレーメンバーにしてほしいと直談判してしまう親までいました。私はコーチとよくお話をして信頼していましたので、指導の仕方に口を出すことはありませんでした。

練習場に限らず、大会で速いタイムで泳げなかった子供を叱りつけている親御さんもたびたび見かけました。叱るのは何か悪いことをしたときにすべきことで、一生懸命やったけれど結果が出なかった子供にそうしていれば、その子は近い将来、水泳を嫌いになってしまうのではないでしょうか。

大切なことは、わが子が人間性を学ぶ場に習い事がなっているかどうかということです。水泳であれば親の見栄や競争の場にプールがなり、本来、心や体を成長させるはずの水泳が、子供の心に害を与えてしまっていないかよく考えなければなりません。スポーツは勝つばかりでも、楽しいことばかりでもありません。人間性とつながっていることを親は忘れてはいけないと思います。

成果主義で育てないよう にすることは子育てで最も大切なことの一つです。子育ては結果ではなく、その経過の子供の努力を見てやることが大事なのです。

中学2年の頃、全国大会で 大会新記録をマークし、優勝をした池江璃花子選手

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年2月23日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その14

プールで学んだ「必要なこと」

集中して聞く力とイメージ力

璃花子は3歳で姉と兄の通っているスイミングクラブに入会しました。4歳のときには4泳法に合格し、5歳のときには全種目の50メートルを泳ぎ、6歳で100メートル個人メドレーを泳げるようになっていました。

璃花子が6歳になった9月、クラスは違いましたが姉と兄のいる選手コースに入れていただきました。そこでは毎月末にレース形式の記録会があり、入ってすぐの回は200メートル個人メドレーで、璃花子も泳がなければなりませんでした。50メートルのバタフライを泳ぐのもやっとこさなのに、そのあとの背泳ぎ、平泳ぎ、自由形も続けて泳がなければなりません。 あまりに苦しそうで、私は見ていてかわいそうで涙ぐみました。時間も5分以上かかりダントツのビリでしたが、2カ月後の同種目では、練習のかいもあって1分以上、記録を縮めました。

なぜ、こんなに早く上達し進級していけたのかは、運動能力がそれなりに高かったこともありますが、私 の幼児教室で学んだものがあると思います。赤ちゃんのときからやるとき(学ぶとき)はやる、遊ぶときは遊ぶ。小さい子供だからといって、いつでも本人のやりたいことを優先させたりはしませんでした。

私の教室では0、1歳の子でもレッスンのときは椅子に座って人の話を聞くという指導を徹底していま す。 璃花子は幼いころから人の話を集中力を持ってきちんと聞く力がついていました。 もう一つはイメージ力です。 レッスンの中ではイメージ遊びの時間があり、毎回いろいろなところに出掛けたり、何かを作ったり、それこそ水泳などの体を動かすイメージトレーニングをしたりしていました。見たこと、聞いたことをイメージしながら水中で体を動かす力が備わっていたのだと思います。

選手コースには同年代の子も大勢おり、日常でもよく遊んでいました。姉も兄もいるので年上の友達もたくさんいました。あるとき、よくお家に遊びに行く璃花子の水泳の友達のお母さんに「璃花子ちゃんのこと、うちの家族はみんな大好きよ。だってあんなに速いのにぜんぜん自慢したりしないんだもの」と言われたことがありました。外でのそのような璃花子の様子を初めて聞き、その心を本人に尋ねてみました。

「だって自慢したら皆に 嫌われるでしょう」

私には水泳で活躍することよりも、人と良好な関係を自ら考えていることの方が、よほどうれしく思いま した。必要なことはほとんどプールで学んだといっても過言ではありません。

小学3年になると、夏、春に行われるジュニアの全国大会「JOCジュニアオリンピックカップ(J O)」に出場できるようになりました。 JOで初めて入賞したのは9歳の春、50メートルバタフライでした。10歳以下の部なので、体力で劣る9歳の子が決勝に進出するとは夢にも思っていませんでした。 その日は応援に行かず、仕事(教室でレッスン)をしていましたが 「決勝に残ったよ」の知らせが入り、ちょうど小学生クラスが終わった後だったので、生徒さんやその親御さんを連れてぞろぞろと応援に行きました。

案の定、決勝進出者8人のうち9歳は璃花子だけでした。 璃花子はひときわ小さく痩せていました。出ているだけでとても誇らしかったですが、そのレースで3位になり仰天しました。今思えば、このときから璃花子の本番力が発揮され、驚かされる日々が始まったのです。

一番高くまでのぼる池江璃花子選手。
相手を思いやる心が芽生え、良好な友人関係も築いた

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年2月16日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その13

役立つことが自然にできる

ご褒美としてのお手伝い

北京五輪が開催されています。 選手にとって五輪は特別な大会です。幼い頃からスポーツの楽しさを知ると、いつかは五輪選手になりたいと夢を持ちます。選手は純粋に五輪での栄光を勝ち取るために練習を重ね、情熱を傾け、したいことも我慢しています。そんな選手たちを心から応援したいと思います。

昔、あるスポーツ選手が圧倒的な強さを見せ、五輪でも連続で金メダルを取っていました。そのような素晴らしい功績の源をその選手は「子供の頃、欠かさず家の手伝いをしていたから」と答えたそうです。わが家でも子供たちにはお手伝いをさせていたので、とてもうれしく思いました。

わが家のお手伝いは9つありました。子供が3人だったので、1人3つずつ、定期的に担当を代えていました。 お風呂掃除、洗濯物たたみ、お皿洗い、玄関の掃除、トイレの掃除・・・・・。仕事が終わって慌てて夕食の支度をしている私の傍らで、子供たちは宿題をしたり、明日の用意をしたり、そして決められたお手伝いもこなしていました。

子供のお手伝いというと、多くの親御さんは食べた後のお皿を台所に持っていくというような、自分の ことを自分ですることをさせているように思います。しかし、わが家のお手伝いとは、担当者がやらないと生活が回らず、みんなが困ってしまうことでした。お風呂掃除の当番がさぼれば、毎日同じお湯に入ることになり、しまいにはお風呂自体にも入れなくなります。洗濯物たたみ当番がたたんでくれなければ、リビングに洗濯物がいつまでも山のようになっていることになります。

決められた当番をしっかり責任をもってこなすことで、家庭という共同生活が円滑に回ります。璃花子も年少の頃から姉と兄と同じようにお手伝いを始め、「あなたは何でもできるようになったから、お姉ちゃんやお兄ちゃんと同じようにさせてあげるね」と言ってあげると、喜々としていました。水泳の練習に行く前に友達を家に呼んで、お風呂掃除が遊びになっていたこともありました。

わが家にとってお手伝いとは、あなたにはその能力があるからさせてあげるというご褒美でした。子供は大人のまねをして育ちますが、すべてが大人と同じようにこなせるわけではありません。はじめは教えたり、一緒にしたりすることで、できる喜びを味わいます。まだ上手にできなくても任せてやることで、大人に認められた喜びと責任を持って、やり抜く自信を得ることができます。そして、自分がしたことが周りの人間を支え、人に役立つということをいとわない精神を育てることができると思います。

数年前、武者修行で璃花子と先輩選手2人が海外合宿に行ったことがありました。コンドミニアムに宿泊し、親も世話をするために前半後半と交代で海を渡りました。後日、先輩選手のお母さんから「璃花子は食事を作っていると必ず、『何か手伝えることはありませんか』と聞いてくるのよ。いい子ねぇ、大好きよ」と言われたことがありました。どんな選手になっても当たり前のことがいつでもできるのは、小さい頃から続けてきたお手伝いのおかげではないかと思います。

6歳の誕生日に、ケーキのろうそくに 火をつける池江璃花子選手。
この頃に は、毎日のお手伝いが当たり前だった。

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年2月9日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その12

常に先を見据える声掛けを

「同じようにできる」イメージを育てる

璃花子は自宅のお風呂で生まれ、生まれたときから姉と兄に刺激をもらい、親も3人目の子育てという環境のもとで育ちました。そんな璃花子の幼い頃のエピ ソードをご紹介します。

生後半年には親の指に自力でぶら下がっていましたし、1歳半には逆上がりをしていました。2歳前には自転車に補助輪なしで乗っていたと思います。それは姉と兄の様子を見て、自分も同じようにできるというイメージが育ったからではないでしょうか。

自宅のリビングでは、よく縄跳びをしていました。長女と長男をうまく競争させて、技や回数を増やして いたのですが、まだ2、3歳の璃花子は自分の番を必ず望みました。それは縄跳びを両手に持ちバタバタ動き回るだけでしたが、褒めてやると喜んでいつまででもやっていました。

私の幼児教室で小学生を対象に腹筋大会をしたことがありました。なかには1回もできない子もいましたが、10回、2回ぐらいはみんなできていたと思います。 それをそばで見ていた 3、4歳だった璃花子は、 「自分もやる」と言いだし400回でも500回でもやってしまいました。 いつまでもやり続けるので無理やりやめさせてしまい、結局何回できたのかはわかりませんでした。3歳から始めた水泳でも、たくさんのことがありました。子供たちのスイミングクラブは無級から始まり、腰にヘルパーを付けて 25mをばた足で進むことができると1.5級に進級できます。初めての進級がいきなり25mなので、幼児は無級に年単位でいる子がほとんどですが、璃花子はすぐに進級してしまいました。早いときは月に2回、長くても3、4カ月で進級テストに合格していました。

そんな進級テストで、私は何度も驚かされることがありました。テストは大会のようにレース形式で、1級から順に行われます。璃花子の自由形のテストのとき、プールに飛び込むと平泳ぎのような泳ぎをして溺れかけたことがありました。コーチも驚いてプールに飛び込んで助けたのですが、私はギャラリーで大爆笑しました。

璃花子のテストの直前に泳いだ子たちは、種目が平泳ぎでした。その泳ぎをやけに熱心に見ていたのに私は気づいていたので、習ってもいないのに平泳ぎをまねしたのだと思いました。幼いが故に進級テストの目的がよく分からず、練習ではいつも周りの大きな子供たちがすることをまねしていたので、そのときもそうしたのだと思います。反対にわずかな時間の間に平泳ぎをまねたその集中力に感心しました。

50mの自由形の進級テストのときも面白かったです。 25mプールのため、25.mを泳ぐとクイックターンをして残り25mを泳ぎます。璃花子は練習のとき、壁にタッチをしてからクイックターンをしていたので 「テストでは壁にタッチしちゃダメよ」といい聞かせました。本番では25mのクイックターンで壁にタッチすることなく上手にできたのでホッとしていたら、今度はゴールのときにタッチをしないで泳ぎをやめてしまいました。初めはなぜそんな中途半端なことをしたのか理解できませんでしたが、「タッチしちゃダメ」 の教えをゴールでやってしまったと分かり、苦笑いでしたが教えを守ったことに再び感心しました。

親の私自身も決して子供に完璧を求めず、プラスの面、よくできた面を褒めることを大切にしてきまし た。「次はこうしようね」 「こうしたらもっとよくできるよ」と、常に先を見据える声掛けをしてきたことが、今の璃花子の土台になっていると思います。

3歳で水泳を始めた池江璃花子選手が5歳11 カ月で1級に進むまでの記録が残っている

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年2月2日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その11

親のような指導者選びを

人間形成の一端担う習い事

結婚を機に仕事を辞めてしまったので、子供を持ったときは働いていませんでした。子育てのために幼児教育に興味を持っていたので、それを仕事にしたのが子供の習い事の始まりです。

幼児教育の著書を多く読み、講演を聞き、能力開発の教室を開校したのは長女が1歳4カ月のころでした。 幼いうちから落ち着いてイスに座ってレッスンを受ける。人の話を聞く。 集中して物事に取り組む。記憶力を伸ばす。学習習慣を持つ。基礎学力を育てる・・・・。これらのことを身につけさせてから子供たちを育てたので、他の習い事でも吸収するスピードが速かったと思います。

璃花子の場合は0歳から私の幼児教室(英語クラスを含む)に通わせ、2歳ごろから姉が通っていたピアノ教室で音楽を利用した教育法「リトミック」、3歳から水泳を始めました。小学1年からは習字を始め、水泳が毎日になった高学年からは週に何度も通わなければならない学習塾には行けないので、珠算塾に通っていました。

私の習い事に対する考えは、人間形成の一端を担う関わりをしてもらうということです。璃花子の場合、水泳が人生のようになってしまいましたが、ほとんどの習い事の場合、その道で生きていくものにはなりません。 あくまでも人として成長していく過程での学びの場であると思います。

努力を怠らず、うまくいかない時も諦めない気持ちを持ち、人とのコミュニケーションを学ぶ。こうしたことに一番大切なのは、先生の指導の仕方や人間性だと思います。子供を褒めて認めて愛し、時には叱り、他の子供と比較せず、成長段階で学ぶべき常識や道徳を教え、人間力を育ててくれる先生に見てもらうことです。

水泳は進級のたびに指導者が変わりますが、選手コースになると、ほぼ同じコーチでした。大きい声で子供を叱ったりすることが度々でしたが、私はコーチとよくお話をして信頼関係がありましたので、コーチの指導の仕方に口を出すことは全くありませんでした。コーチに娘をかわいがっていただきたかったので、親としても愛されるようにしていました。

私はその指導者のやり方に不満があるのなら、そこをるべきだと思います。親としてやり方に納得ができないのであれば、納得できる指導者を探せばいいのです。 自分の主張をコーチに押し付けたり、ケチをつけたりしても、間に入る子供がつらい思いをするばかりです。

10歳の頃の池江璃花子選手(左から2人目)と
リレーのメンバーと清水桂コーチと共に。

私は幼児教室を経営しているので、習い事の指導者の立場でもあります。私はお子さんを見るのと変わらない比重で親御さんも見ています。小さいお子さんを指導するということは、その後ろにいる親御さんもご指導しなければ身につきません。ですから入会時には ご両親にガイダンスを受けていただき、大切なお子さんがこれから受ける教育の基礎理論はどういう内容なのか、私たち指導者はどういう気持ちで、どういった指導方針で人間性を育てるのかというお話をします。「自分が親ならこうしてほしいという信頼関係が習い 事を支える要ではないかと 思うので、安心して通っていただくためにとても大事なことだと思っています。

東京五輪出場が決まり、開かれた祝福会での
池江璃花子選手と清水コーチ

習い事の指導者は、他人として親のように子供を育ててくれる人を選ぶといいと思います。親の役割は指導者と子供の間を取り持ち、子供が上手に学べる環境づくりに徹することです。

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。

池江流子育て『どんな人から生まれても』

産経新聞2022年1月26日水曜日に掲載されたコラムを文字起こししたものです。

その10

見守りながら、難しいことに挑戦

うんていが育てた運動神経

米フィラデルフィアで人間能力開発研究所を設立し、幼児教育についての著書も多いグレン・ドーマン氏の「赤ちゃんは運動の天才」という本には、「知能の発達は運動から」とあり、私の子育てにたくさんのインスピレーションを与えてくれました。

巻末にはブレキエーション(うんてい)が寸法などとともに図解してあり、私の教室にも、自宅にもうんていがあるのはこの本のおかげです。

1歳半で、鉄棒の逆上がりができていた

生まれたばかりの赤ちゃんをどう扱っていいのか、初めての子育てではわかりませんでした。ですがこの本のおかげで、「こわれもの」のようにではなく、なるべくアクティブ(活動的)に扱うことで赤ちゃんの運動能力を伸ばせるのだと知りました。

ですから、3番目の璃花子は、生まれたときから抱き上げるときに首を支えることはしませんでした。 寝ている状態から両腕を引っ張って座らせたり、立たせたり、つり上げたりしていました。

池江美由紀さんの指を握る赤ちゃんの頃の璃花子選手

赤ちゃんはもともと、反射で手を握る力が強いので、赤ちゃんが寝ている状態から親の親指を赤ちゃんに握らせ、こちらも赤ちゃんの手全体を握り引き起こします。そのうち自分の握力で自分の体重を支えられるようになります。 まだか弱い力ですので、いつでもつかまえることができるようにしますが、半年もたたないうちにぶらぶらと親の指にぶら下がれるようになります。

このようにアクティブに育てた花子は、そのうちに教室のうんていにぶら下がれるようになり、1歳半では鉄棒で逆上がり、2歳にはうんていを進めるようになりました。「あなたならできるよ」と要領を教え てやると、足をかけてうんていの上に登れるようになりとても満足そうでした。

まだ花子が小さいころ、野外のアスレチックに行き、小さい子がとても登れないような遊具に登っているのを私が励ましながら見守っていたこともありました。ちょっと危ないかなと思うような目標でも、わが子だからできることがあります。いつも見守りながら、少し難しいことも果敢に挑戦させていました。自宅のうんていは、10年 前、家を建て替える際に大 工さんに特注で作ってもら いました。「登り棒とうんてい、どっちがいい?」と聞くと「うんてい!」というので取り付けることになりました。

自宅のうんていはリビングにあり、高さは230㎝です。昔は私もうんていに飛びつけたので、子供たちとうんていのタイムトライアルをよくしていました。取り付けてくれた大工さんや電気屋さんとやったときは、璃花子が1番、私が2番、30代や20代の職人さんに圧勝しました。「うんていを作ったばかり の頃、璃花子はとにかくぶら下がっていました。テレビを見るときもうんていにつかまりながらでしたし、 家の中の移動もうんていで進みながらということがよくありました。ターンをして3本連続でやったり、両手でうんていをつかみそのまま次のうんていに飛びつくことを連続でしたりすることもしていました。

脳も運動神経も赤ちゃんの頃から育ちます。運動神経は握ることで育つというのは私の持論です。

池江美由紀(いけえ・みゆき)

東京都出身。3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、1995年から幼児教室を経営。次女が小学校に上がる前に離婚し、ひとり親で3人を育てる。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。

初の著書『あきらめ ない「強い心」をもつために』(アスコム)刊行。

池江璃花子(いけえ・りかこ)

2000年7月4日生まれ、21歳。

3歳で水泳を始めた。2016年リオデジャネイロ五輪は100mバタフライ5位。100、200m自由形と50、100mバタフライの日本記録保持者。 19年2月に白血病と診断された。日大、ルネサンス所属。